夜が明けて7月11日。
もうこの日は本当に意識があるのか無いのか、夢か現実か分からないくらい朦朧としていました。
正直、この日1日を過ごす自信がないくらい衰弱しており、家族に向けて遺言のような文章をスマホに打ち込んでいました。
そんな弱気になっている自分を支えてくれたのは、家族や知り合いからの応援のメッセージでした。
「ここで諦めて、死んでしまっては皆んなに申し訳ない!」
と奮い立ちながら必死に意識を繋ぎ止めておりました。
しかし、何度目かの40度を超えた時、本当にこれはヤバいと思い妻にLINEのビデオ通話をかけ、声は出せませんでしたが、画面越しにメッセージで
「自分にもしもの事があっても頼んだよ!」
と伝えました。
尿の色が黒くなってくる
脱水回避のために入れている点滴があるため、尿意は絶えずありました。
しかし、この時はもう赤くもありません。コーラのような黒っぽい色になっていました。
いよいよこれもヤバいなと感じていましたが、どうすることもできずただただ時間が過ぎてくれるのを祈っておりました。
解熱剤が効いてる時間が短くなってくる
通常であれば解熱剤を使うと6時間くらいは熱がマシになってくれるのですが、この時は2時間も保たない状態でした。アセトアミノフェンもロキソニンも投与間隔を6時間あけないといけないため、3時間ごとに解熱剤を変えて対応していました。
口の中は薬のような点滴のような味が広がり、常に吐き気との戦いでした。
この日どうやって夜を越したのか記憶がありません。
熱で目が覚め、尿意で目が覚め、嘔吐で目が覚め、と記憶が飛び飛びでした。
生と死
文字にするとなかなか伝わらないのですが、間違いなく自分の中で命の危険を感じたのはこの日がピークでありました。
気を緩めれば「死」がそこにあるような感覚。
それに逆らうように「生きるよう」とする自分。
それらを交互に行き交うように熱の中、時間が過ぎていきました。
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