前日のカテーテル地獄を乗り越え、トイレ地獄は継続したまま、今日も点滴三昧の1日がスタートしました。
何種類点滴すんねん!っていうくらい点滴します。
- 水分の点滴
- 高カロリーの点滴
- 抗生物質の点滴
- 貧血を補う点滴
- DICの症状を治療する点滴
とめちゃくちゃ薬を体の中にぶち込まれます。
しかも絶食状態なのでだんだん口の中が薬っぽい味がするような感覚に襲われます(汗)
前日のカテーテル地獄を乗り越え、トイレ地獄は継続したまま、今日も点滴三昧の1日がスタートしました。
何種類点滴すんねん!っていうくらい点滴します。
とめちゃくちゃ薬を体の中にぶち込まれます。
しかも絶食状態なのでだんだん口の中が薬っぽい味がするような感覚に襲われます(汗)
1日に3リットルもの水分を点滴で入れているとマジでトイレに行く頻度が爆上がりします。
通常成人がトイレに行く頻度って1日5、6回で1回につき150ml〜200mlのオシッコが出るそうです。
でも私の場合、最初の頃は1時間半くらいの間隔で1回250mlくらいのオシッコが普通に出まして、多いと1回で600mlもオシッコが出ることもありました(汗)
この尿量で大体10回〜12回くらいトイレに行くのです。まだ日中起きている時はいいのですが、夜寝る時もこのペースでトイレに行かなくてはならないので睡眠が取れないのです。
敗血症の熱で死にかけ、DICが合併して死にかけ、急性腎障害でオシッコがコーラ色になり、それらを乗り越えたと思ったらトイレ地獄の寝不足で精神が死にかけるという事態になりました(泣)
このトイレ問題を何とかしないとマジで寝れなくて精神崩壊すると思ったので先生に相談してみました。
この日私は4人部屋から個室に移動する事となりました。
というのも、空いていたベットに移ってきた患者の方がつけている芳香剤?消臭剤?の匂いがとてつもなく臭く、その匂いで夜中に何度も気持ち悪くなり嘔吐を繰り返してしまいました。
せっかく熱も下がってきており、ゆっくり休めるチャンスなのに匂いでそれどころではありませんでした。
看護師さんに窓を開けてもらうなど対策をしていただきましたが、定期的に匂いが漂ってきてその度に嘔吐するような有様でした。
我慢の限界で「部屋を変えてほしい」と頼むと「今お部屋は個室しか空いていないんです。それでも宜しいですか?」との事でした。個室は良いお値段がするのは分かっていましたが、この空間にいるよりはマシだと思い。「それでお願いします。」と承諾したところ、早速この日の朝に個室に移動することとなったのです。
熱はだいぶ落ち着いてきており、37度台前半をキープしておりました。
しかし、この日の血液検査の結果でも腎臓の値(クレアチニン)は依然として高いままでした(汗)
抗生剤は最低2週間は継続、腎臓を守るため輸液も手術までは大量に投与(およそ3リットル)、トイレは1時間半から2時間に1回は行かなくてはならない、DICの治療のための薬剤も引き続き投与継続と、とにかく敗血症と合併症の治療には終わりが見えません。
しかもベットから動けないためずーっと1人ベットで横になりながら不安と戦っておりました。
この頃になると熱もだいぶ治まってきており、37度後半をキープできるようになってきていました。
血液検査の結果も白血球は正常化。炎症の値であるCRPも25→14まで減っていたので、ガッチリ抗生剤が効果を発揮してくれていました。
また血小板の値も徐々にではありますが回復してきていたので、50%の確率だった寛解率ですが良い方の50%に当たれたようです。
ただ、腎臓の状態をみるクレアチニンの値だけがドンドン悪くなっていっているのが気がかりでした。先生もそこをかなり気にされていました。と言うのも腎臓は一度悪くなってしまうと元に戻らないという臓器であるため、これ以上悪くなると透析が必要になるらしく、それは本当に勘弁してほしいなぁという気持ちでいっぱいでした。
色んな処置を終えて2日目。
前回の血液検査が悪過ぎた為、毎日血液検査が行われるようになりました。
私の中では1日の中で40度の熱が繰り返し出る苦しさが無くなっただけでもかなり楽になっていたのですが、合併症として出てきたDIC(播種性血管内凝固症候群)や急性腎障害の影響が良くなかったらしく、先生方は気をつけて様子を見てくれていたようです。
夜が明けて7月11日。
もうこの日は本当に意識があるのか無いのか、夢か現実か分からないくらい朦朧としていました。
正直、この日1日を過ごす自信がないくらい衰弱しており、家族に向けて遺言のような文章をスマホに打ち込んでいました。
そんな弱気になっている自分を支えてくれたのは、家族や知り合いからの応援のメッセージでした。
「ここで諦めて、死んでしまっては皆んなに申し訳ない!」
と奮い立ちながら必死に意識を繋ぎ止めておりました。
しかし、何度目かの40度を超えた時、本当にこれはヤバいと思い妻にLINEのビデオ通話をかけ、声は出せませんでしたが、画面越しにメッセージで
「自分にもしもの事があっても頼んだよ!」
と伝えました。
7月10日の朝、解熱剤を使いながらなんとか夜を明かしましたが、体力も気力も限界にきており、当直の先生が回診にきた時に
「先生!どう考えても抗生剤が効いていない!もう一回血液検査して調べてください!」
と頼みました。
通常の血液検査ならできるとの事だったので、早速血をとってもらい調べてもらいました。
解熱剤を使いながらなんとか夜を明かしましたが、寝れない、トイレ地獄、吐き気マックスと熱に加えて体力をごっそりと奪っていく体の症状に気力も奪われていきます。
この日の午前中は解熱剤を使わずとも38度台で熱がとどまってくれていたのですが、15時過ぎよりジワーッと熱が上がっていき39度近くまで上がった時点でギブアップし、アセトアミノフェンを投与してもらいました。
全く下がる気配のない状態にしだいに「治療がうまくいっていないのではないか?」と思うようになり、先生に相談するも様子をみようの1点張りでした(泣)
7日までは順調に下がっていてくれた発熱もなぜか8日になってから再び38度台に上がるようになりました。
先生に相談したところ「まぁ38度台なら普通にある事だからもう少し様子を見ましょう」という事になり、継続して抗生剤プラス大量の輸液を行うことになりました。
実はこの日、血液培養に出していた血液検査の結果「黄色ブドウ球菌」が検出された為、2種類の抗生剤を投与していたのですが、「黄色ブドウ球菌」に効く1種類に変更になっていたんですね。おそらくこの判断が良くなかったんだと思うのですが、その時は
「薬が1種類減った!やったー!」
くらいにしか考えていませんでした。